<諦める瞬間・・・地獄の入り口>
 
私は心臓の手術を二度受けた。37歳と51歳の時である。
これから話す内容は、一度目の手術後にICUで体験した実話である。
 
私は18歳で罹患した細菌性の心臓病の後遺症の為、心臓の2つの弁を人工弁に変えざるを得なかった。心臓には4つの弁がある、大動脈弁、僧帽弁、三尖弁、肺動脈弁である。その内の大動脈弁と僧帽弁を一度目の手術で交換した。患者は術後、ICU(intensive cure unit)に入れられ、外界からシャットアウトされた状態で回復への基礎的治療を受ける。
私は日頃の行いが悪かった為か、通常手術の翌日に取れるはずの酸素呼吸器が上手く外れず、薬で眠らされ続けた。薬が覚め始め徐々に意識が回復してくるとまた注射され眠らされた。そんな繰り返しを何度しただろうか。眠っている間は悪夢の連続であった。その時々の体調の変化が大きく夢の内容を左右して
いたようだが、概ね先祖や死んだ人々の夢、若しくは崖淵に立ち、まさに落ようとする瞬間の恐怖心を体現するかのようなおぞましいものであった。
 
ある時、夢の中に円形のルーレットのような回転物が現れた。そして回転物には様々な現世と彼岸の光景が描かれていた。片や火の海で溺れ苦しみ阿鼻叫喚する人々、と思えば一方は、天高く広がる青空の下、高原の草むらを揺らすそよ風に吹かれ遊ぶ小動物達。勿論後者の世界へ入りたくて何度も飛び込もうとするが、円盤は回転しているため上手く的が定まらない。その内、薬が覚め始めると夢も徐々に薄らぎ、指先の感覚が戻り始め、少しずつ動かすことが出来るようになる。しかしその状態は長く続くことはなく、また注射を打たれ元いた地獄へ逆戻りするのである。
目を覚ましたことを気づかれないと暫くは眠りにつかなくても良かった。しかしICUでの一日は泥沼のように長い。照明は24時間灯され、今現在の時刻を知らされることなく、天井の模様を見つめながら、一秒刻みで過ぎてゆく時間を持て余す。「回復」の二文字のないこの戦いに終わりはないのである。まさに生き地獄であった。
 
薬による幻覚、幻聴も半端ではなく、回診に来た医師に助けを求めると「なに・・大村さん!まだ生きていたの!」と私の首を締めようとするのである。手術の前日に患者から貰ったお布施の金額について、眠る患者の横で平然と話す医師や看護師達、無抵抗の患者に恨み言を言い続けるベテラン看護師など、まさに魑魅魍魎の世界であった。意識のない病人の前で、不用意な言動は禁物である。
 
ある日、私の身体は体力の限界に近づき、眠り闘い続けることに疲れたのだろう。今まで経験したことのない状態(いわゆる峠)に差し掛かった。苦しさの余り、生きよう生きようとしていた身体が生きることを諦めたのである。
「もういい・・もういい・・」無意識にそう呟いたことを薄っすらと覚えている。すると不思議なことに急に身体が楽になり始めた。苦しみは消え、穏やかな安らぎに似た感覚が身体中を包んだ。「そうか・・人はこうやって死の瞬間を迎えるのだ」、と無意識の意識で察した。それから間もなくして、看護師さんが大きな声で私の名を呼んでいるのに気付いた。「大村さん!大村さん!大村さん!」矛盾するようであるが、私はその瞬間に蘇生し、この世に戻ることが出来たのである。まさにあの世へ行きかけた私を察知した看護師さんによって、連れ戻されたのである。
 
生きることを諦めた瞬間になぜ苦しみが消えたのか?そしてその瞬間と同時になぜ蘇生出来たのか?全て薬の影響下での体験であったため、真実は明らかではない。しかし、人の身体は体力の続く限り最後まで生きることを渇望する。それは無意識の中でも同じであり、身体が自然に反応し命の灯を絶やさないよう病との闘いを繰り返し続けるのだ。そしてそれが尽きた瞬間、死への序奏が始まり、全てから解放され、安らかな世界に誘われるのだと私なりの理解をした。
 
二度とは御免であるが、今として思えば、死に一番近づいた貴重な体験であった。人が死に至る瞬間を段階的に経験し、その段階を実際に踏み上がり、そして最後の最後で引き戻され、踏み止まることが出来たのである。
 
今更無理な話であるが、呼び止めてくれた医師、若しくは看護師さんに、感謝の言葉を心から伝えたい。また近い将来、2度目の試練は確実に訪れるだろうが、もう驚き戸惑うことは無いであろう。
 
最後に28年前の医療体制下の出来事であり、現代医学の進歩の下では、このようなことはないであろうことを、お伝えしておく。