<ライカデジタルの歴史>

ライカの上級デジタルカメラの歴史は、2006年に発売されたM8から始まり2008年のM8.2、2009年のM9、2011年のM9—P、現行の2012年発売M モノクローム、2013年発売M—E、同じく2013年発売LEICA M (TYP240)、2014年発売LEICA M –Pと推移している。また今年6月に発売されたLEICA Q は、ミドルクラスながら最新機能が満載されており、ライカの未来を予見させる仕上がりとなっている。
 
 

<ライカの起源> 

ライカは、オスカー・バルナック(1879〜1936)という一人のドイツ人技師により生み出された。1911年当時のライツ光学工場に入社した彼は、映画用フィルムを使い、24×36ミリの画面を撮影する小さなカメラを1913年に作り始め、翌1914年に完成させたと言われる。これがライカという現在まで続いているカメラの始まりである。その小型のカメラは現在ウル(原型)ライカと呼ばれているが、幾多の変遷を重ねながら100年後の今、最新のライカM(Typ240)というデジタルカメラにつながる。
(ライカの名前の由来は、社名のライツとカメラを組み合わせた造語です)
 

<ライカのフィロソフィー>

 
エルマー、ズミクロン、エルマリート、ズミルックス、そしてノクティルックス。1925年のライカA型以来、ライカは数多くの名レンズを誕生させてきました。現在のライカレンズも、優れた描写力が多くの写真家を魅了しています。ライカレンズはどのような思想で開発製造されているのだろうか? 雑誌のインタビューに答えるライカカメラ社で光学設計部門の責任者を務めるピーター・カルべ氏の言葉を抜粋して紹介する。
 

1、「フィルムからデジタルになったことで、レンズ開発や製造に変化はあったか?」

「デジタルになったからといってレンズ開発や製造を大きく変えたというこはありません。基本はデジタル以前と同じです。ライカのレンズはフィルム時代から、製造上の管理を非常に厳しく行ってきました。そのためデジタルになっても十分対応できる性能を持っているのです。さらに言いますと、カメラの方をレンズに合わせて設計しています。レンズの性能を引き出すカメラということです。」
 
*デジタルカメラは、カメラ側の進歩に応じてレンズを対応していくと考えがちだが、ライカではレンズにカメラを対応させている。ライカレンズの性能の高さが感じられる。発売から約20年、光学設計は全く変えずに最新のライカMに装着しても優れた画質が得られる。どれだけ高いレベルで開発されていたかがわかる。
 

2、「ライカファンは、レンズの「味」にこだわる人が多いが、レンズの「味」についてどのように考えているか?」

「ライカレンズには長い歴史があり過去のレンズでも研究しています。そしてこれまで培ってきたレンズ描写に加えて工場での製造管理をとても厳しくしています。そのため画面隅々まで解像力の高い描写が得られるのです。片ボケして、画面の右端と左端で解像力が異なる、ということがないように、シビアな製造を行っています。これらから「味」と呼ばれるライカレンズの描写が生まれてきているのだと思います。」
 
☆解像力と立体感が味わいにつながる
「昔のライカレンズはピントが合ったところから外れるところが緩やかでした。しかし現在のライカレンズは、ピントが合った部分と外れた部分がはっきりとしている設計です。そのためピントの合った部分の解像力が際立つようになり、写真に立体感が生まれます。昔に比べて現在は製造技術が上がっていますから、こうしたレンズの設計が可能になったのです。特に大切なのは「片ボケ」と「コマ収差」を無くすことです。画面周辺まで均等にボケることで、立体感のある写真に仕上がります。」
 

3、「印象に残っているライカレンズを教えて下さい。」

 
「現行品では、アポ、ズミクロンM f2.0/50mm ASPHです。画面周辺部まで解像力が高く、拡大してもより多くの情報が得られるレンズで理想に近いレンズです。またライカM レンズではありませんが、ライカXvarioのバリオエルマーレンズも、とても解像力が高く、やはり理想に近いレンズです。
 
☆  カメラをレンズに合わせて設計する。解像力とコントラストのバランスを大切にする。解像力と立体感が「味」に通じる。などライカならではの設計思想がわかりやすく語られており、未だにハンドメイドに拘るライカの透徹さ、秀逸さを紐解く糸口が垣間見えてきた気がします。
 

<ライカゆかりの地、ウェッツラー>

 


外観写真(ライカホームページより引用)
 
 
<オフィス、工場はもちろん、ライカストア、ミュージアム、フォトスタジオを併設する>
2014年、フランクフルトから車で北西部に向かうこと約1時間半の街ウェッツラー(ライカが誕生した街)に1988年に移転した近郊の街ゾルムスから再びライカ社が戻ってきた。ウェッツラーは18〜19世紀の文豪、ゲーテゆかりの地でもある。1772年にゲーテはウェッツラーを訪れ、そこで「若きウェルテルの悩み」を書き、当時のヨーロッパで大ベストセラーになった。また、ウェッツラーは光学の街としても有名だ。現在もかつてのエルンストライツ社があった場所の近くには、顕微鏡を製作しているライカマイクロシステムズ社があり、カールツァイススポーツオプティクス社、さらに小型カメラで知られるミノックス社など、多くに光学機器メーカーが存在している。
 

< LEICA Xvario試写例(2)>

 
Nikon D810 +Zeiss Makro-Planar 2/50 ZF.2
 
HARLEY-DAVIDSON(1)
 
狛犬
 
本田照男画伯
 
「故郷」作:本田照男画伯
   
厳島神社、石灯籠(1)
 
韮山反射炉(1)
 
HRALEY-DAVIDSON(2)
 
韮山反射炉(2)
 
「新曲」作:北斎道子画伯
 
HARLEY-DAVIDSON(3)
 
厳島神社、石灯籠(2)
 
昼下がりの情景
 
厳島神社、石灯籠(3)
 
厳島神社、石灯籠(4)