vol10

山中湖
 
 
vol10

山中湖
 
 

<暗夜の一灯>
 
「一灯を提げ暗夜を行く、暗夜を憂ことなかれ、ただ一灯を頼め」
 
(意味)ひとつの灯を提げて暗い夜道行く時、暗夜を嘆いても暗夜そのものを変えることは出来ない。我々に出来るのは、自分が手にしている一灯を頼りにして、ひたすら前に進む事だけだ。
 
江戸時代の儒学者:佐藤一斎の言葉である。
敬愛する藤原正彦氏の座右の銘であり、同時に私のそれでもある。
 
富士山写真を医療施設で展示し、数多くの患者さんに鑑賞して戴く機会を作りたいと決心してから、とりあえず市井の小さなギャラリーで展示会を幾度か開催し、来場者の写真に対する評価の如何を観察した。2回目の展示会の時、サラリーマン時代の同僚が嬉しい話を持って来てくれた。友人の行きつけの寿司屋に、近くの大病院の医師や看護師、職員がよく食事に来るという。「寿司屋の親方とは親しいので、写真を貸してくれればその人達に見て貰えるよう頼んでやる。」との内容だった。数少ない私の志を理解してくれる友人であった。一週間経過した頃だろうか、運良く評価をして貰える機会が早々に訪れ、とんとん拍子で話は進み、その病院での展示が認められた。
 
それから約5年、常設展示、期間展示、イベント展示等、様々な展示活動を続けて来たが、活動原資がショートし始め、展示活動を止む無く休止せざるを得なくなった。その間の経費の合計は、小さな土地付きの一軒家ほどになっていた。今後の活動をどのような形で継続するか日々思案する中、年末になって、まさかのJTBから「富士山世界遺産登録の記念商品(旅行プラン)を企画したいので協力して欲しい。」との要請があった。富士山はこの年の6月に世界文化遺産に登録されていた。
 
JTB のオファーは今までの撮影活動から得た知識と経験を生かせる良い機会と判断し、協力を承諾、あらゆる情報や写真を提供し企画案の提言も行った。業界第1位の営業戦略は、あらゆるメディアを活用する包括的なもので、流石と思わせる手法に富んだ隙のない完成された形式に沿って進められた。担当者や担当部署の責任者も進取の気性に富み、鍛え挙げられた戦士を彷彿とさせる生粋のサラリーマン軍団であった。
 
JTBに前後して某有名出版会社より、雑誌の世界文化遺産登録記念号の特集に写真を使用したいとの話が舞い込み、グラビア用として多くの写真を提供し掲載された。この時期には同じような案件の問い合わせが連続し、その内の何件かに対応させて戴いた。
 
雑誌の文化遺産登録記念号に掲載されて間もなく、同じ出版社の他の部門から、日本で屈指の大手企業グループの会報誌に、世界文化遺産登録記念号としてやはり写真を掲載したい旨の連絡があり、当該グループの社員向けに40万部が発刊されることとなった。実に加盟グループ39社、社員数約40万人に会報誌は配布され、幸運なことに涅槃の富士を多方面でご覧戴く機会に恵まれたのである。
 
すると会報誌に掲載された翌月、写真を見た当該グループの社員から、「聖路加国際病院に友人が難病で入院しているので、写真展を開き見せてやって欲しい。」との連絡が入った。奇しくもその聖路加国際病院は私の展示活動の最終目標医療機関であり、尊敬する日野原重明先生が名誉医院長を務めていた。
 
いつか展示会開催の提案に訪問したいと考えていたが、具体的な行動はまだとっていなかった。そんな折、病院への仲介者が現れ、右顧左眄する私の背中を押してくれ展示会開催が可能になったのだ。その方の話によれば病院側の対応は極めて暖かくスムースなものであったそうだ。後で知ったことであるが、難病の友人とは、聖路加国際病院の職員であった。仲介者とは同じスイミングクラブに属し、泳ぎを極める為に切磋琢磨する盟友であった。
 
また仲介者のA氏は、デトロイト生まれのバイリンガルで、銀行マンとしてニューヨーク駐在の経験も長く、ネイティブイングリッシュにも精通していた。
50歳前後の紳士であり、初対面でその柔和な人柄が伺い知れた。友を想い即座に私に連絡をくれたその行動力に敬意の念を覚えた。そしてその後、彼の多大な協力の元に私のホームページに英語版が開設されたのである。
 
聖路加国際病院での展示会は、各方面から数多くの来訪者があり、成功裏に終了した。予想した通りの素晴らしい医療施設で、職員の対応も如才なく流石と思わせるものであった。患者さんとの忘れられない出会いも何件かあり、意義多き体験を私に与えてくれた。そして今、私は次の活動の準備に取り掛かり始めた。その活動には、きっと聖路加国際病院での展示実績や経験が役立つと確信している。
 
「点と点は繋がる!」
 
スティーブ・ジョブスがスタンフォード大学の卒業記念講演で話した有名な教訓のひとつである。
 
今自分が、直感的にやりたいと思うことに一生懸命集中し、想い続け成し遂げることが、次の何かに繋がって行く。あらかじめ点と点をつないでおくことは出来ない、後から振り返ってはじめて出来るのである。
 
医療施設での展示活動を、今まで私と同じ動機で始めた例は全国になかったと推察する。先達のいない活動ゆえ何もかもが暗中模索の状態であった。どんな方法で何処の誰に何を相談したら良いのか? 写真展示そのものを緩和ケア施設で受け入れて貰えるものなのかどうか? 患者さんは果たして写真を見てくれるだろうか? 写真から私の想いは伝わるだろうか? 期待と不安が入り混じった複雑な心境であった。
 
しかし「あなたの写真を見ていると心が安らぎリハビリになります。」という癌患者さんからのひと言を「暗夜の一灯」とし、やみくもに前に進み続けた結果、聖路加国際病院での展示会に辿り着いた。
 
なんと不思議な出会いの連鎖であったことか。点と点は繋がり、その間、心清き人々にどれだけ巡り会えたことか。そしてその出会いが私の心をどれだけ浄化してくれたことか。「人間は、まだ捨てたものじゃない!」そう思える瞬間に、どれだけ心打たれたことか・・・
 
「道のある場所を歩いてはいけない、道のない場所を歩き、足跡を残すのです。」
 
ラルフ・ワルド・エマソンのこの言葉のごとく、身の丈に合った己の道を、これからも歩み続けたい。
 
 
 

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河口湖 
 
 
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芦ノ湖
 
 
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芦ノ湖
 
 
<お知らせ>

 

 今回をもって、「岳の独り言」(Part2)は終了致します。
長期間のご愛読、誠に有難うございました。