vol4

「田貫湖」
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「田貫湖」

<四季のうつろい・・・地球の自転軸、23,4°の傾き>
 
春・・・福島県:三春の滝桜 ・ 京都府:鴨川沿い花の回廊
夏・・・沖縄県:竹富島コンドイビーチの砂浜 ・ 北海道:富良野のラベンダー
秋・・・青森県:奥入瀬渓流の紅葉 ・ 長野県:涸沢カールのナナカマド
冬・・・岐阜県:白川郷雪の合掌造り ・ 山形県 宮城県:蔵王の樹氷
 
日本の四季のうつろいは、殊の外、鮮やかで美しい。
 
それでは、何故日本特有の美しい四季は存在するのであろうか?
誰しもが知っていそうで答えられないその理由を、今回は解き明かしてみよう。
 
まずは、日本が鮮やかな四季が訪れるのに優位な地球上の緯度に位置しているからである。そして最も大きな理由は、地球の自転軸が23,4°傾いたまま公転しているからである。夏は自転軸が太陽側に傾き、冬は太陽から遠ざかる。そのために、地球から見た太陽の高さが季節によって異なる。冬は、31°と低く、春分の日、秋分の日は54°となり、夏は78°と高くなる。太陽の高さが変わると、地面にあたる日光の照射量が変わり温まり方も違ってくる。夏は冬よりも太陽は高く、日照時間も長くなるので地面の温度も高くなり気温も高くなる。
 
富士山撮影に影響がある日の出の時間や位置も夏と冬では大きく変わる。日の出の時間は夏至と冬至では2時間半も違う。夏は午前4時半には日は昇り、冬は午前7時近くにならなければ太陽は顔を出さない。定点で観察すると日の出の位置も半年ごとに変わる。冬は南に移動し夏は北に移動する。冬至と夏至の間を行って帰ってくるのに各々半年かかり、1往復で1年になるのである。私の住む静岡県東部では、冬は伊豆半島の南端から太陽は昇り、夏は富士山に近い朝霧高原北端から昇る。
 
変化する日の出の位置が、富士山撮影に如何なる影響を及ぼすことかを知っておく事は、撮影上重要な意味を持つ。まずは、いかに昇る太陽と富士山と自分が直線上に対峙するよう位置取りをするかということである。太陽の昇る位置に対し富士山と自分が直線になるよう位置取りすることにより、空の焼け方がまったく違ってくる。直線に近ければ近い程、太陽光線は強くなり、空は濃く焼け朝焼けに巡り合う確率が上がる。また夕焼けもしかりで、昇る太陽が、沈む太陽に変わるだけである。
 
ダイヤモンド富士撮影も同じ原理である。富士山頂から西側南北35度以内の範囲で、太陽と富士山頂と自分の位置が直線になった時、ダイヤモンド富士が撮影出来る。富士市を起点として中央高速甲府南インター方面に続く国道139号は、「ダイヤモンド街道」と呼ばれている。この街道を、太陽の昇る位置を確認しながら南から北へ移動することで、ダイヤモンド富士を撮影するチャンスが多く訪れる。ちなみに「ダイヤモンド街道」の中間点にある有名な田貫湖のダイヤモンド富士は、春は4月20日から数日間、夏は8月20日から数日間となる。太陽は南から北に北上する過程で4月に、4ヶ月後の8月には、北から南へ南下する途中で夏のダイヤモンド富士となる。
 
富士山の撮影は統計学と言える。10年以上その天候の変化を追い続けていると、所謂、四季ごとの絶景が出現する日時が絞られてくる。その瞬間は過去の実績日と前後1週以内の違いでほぼ毎年訪れる。例えば、3月に入ってからの湿った雪質の大雪は3月3日と5日に多く、2月迄の軽質の積雪と異なり、風に強く、数日間安定した雪景色をもたらす。「それでは今年はどこそこの深雪風景を狙おう!」となるのである。ところが近年その統計データが余り役に立たなくなって来ている。この星全体の気象動向が根本から変化してきている証拠である。それは恐らく、地球全体を巡る偏西風と海流の動きの変化に大きく起因していると推察する。
 
今年も富士山には雪が少なかった。シーズン通してたった1日しか絵になる積雪はなかった、寂しい限りである。いずれにしても、統計データの再構築が必要となってきた。地球の気象動向が今後どのような規則性を帯びて来るか、現状では想像の域を超える。
 
話が横道に逸れたが、地球の回転軸の傾きの他に、日本の四季がはっきりしている理由は日本特有の気候条件にもある。以下が主な理由である。
 
1、島国で周囲を海に囲まれている為、海流の影響を受ける。
 (冬はオホーツク海から降りてくる冷たい海流である親潮の影響。夏は沖縄から暖かい海流である黒潮が北上し非常に暑くなる)

2、冬は、親潮の冷気に誘われてシベリア寒気団が日本を包み、夏になると黒潮と一緒に太平洋高気圧がやってきて暑さと湿気をもたらす。
3、夏と冬の間にある梅雨と秋雨は、各々の気団が日本列島の上空でせめぎ合い、常に暖気と寒気が日本の上空にある為、雨が降り続く現象である。
4、世界的に、気温の変化だけ見れば、日本程度の気温変化は珍しくないが、夏の湿度と冬の乾燥、雪、梅雨、台風、秋雨と移り変わる天候は稀である。
 
このような慌ただしい天候の移り変わりの中で生活していると、四季の変化に敏感になる。*二十四節気に合わせた生活の準備が必要となり、日本人は「四季のうつろい」を強く意識の中に刻んで来た訳である。
 
<*二十四節気>
二十四節気(にじゅうしせっき)とは、1太陽年を日数(平気法)あるいは太陽の黄道上の視位置(定気法)によって24等分し、その分割点を含む日に季節を表す名称を付したもの。二十四気(にじゅうしき)ともいう。二十四節気は中国の戦国時代の頃、太陰暦の季節からのずれとは無関係に、季節を春夏秋冬の4等区分する暦のようなものとして考案された区分方法のひとつで、一年を12の「節気」(正節とも)と12の「中気」に分類し、それらに季節を表す名前がつけられている。重要な中気である夏至・冬至の二至、春分・秋分の二分は併せて二至二分(にしにぶん)と言い、重要な節気である立春・立夏・立秋・立冬を四立(しりゅう)、二至二分と四立を併せて八節(はっせつ)という。太陽太陰暦では、暦と季節のずれを正すために用いられる。本来の二十四節気は中国の中原を中心とした地域の気候をもとに名付けられており、日本で体感する気候とは季節感が合わない名称や時期がある。違いを大きくするものとして、日本では梅雨や台風がある。例えば夏至はまだ梅雨の真っ只中にあり、蝉はまだ鳴き始めていない。小暑では蒸し暑さは増すものの七夕を眺めるような晴れ空は期待できず、暑中ではあるのに地域によって梅雨寒となることもある。大暑は「最も暑い時候」と説明されるが、盛夏のピークは立秋の前後となる。日本ではこのような事情を補足するために、二十四節気のほかに、土用、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日などの「雑節」と呼ばれる季節の区分けを取り入れた。
 
月名 一月 二月 三月 四月 五月 六月 七月 八月 九月 十月 十一月 十二月
節気 立春 啓蟄 清明 立夏 芒種 小暑 立秋 白露 寒露 立冬 大雪   小寒
中気 雨水 春分 穀雨 小満 夏至 大暑 処暑 秋分 霜降 小雪 冬至   大寒
 
このように「二十四節気」と5つの「雑節」に1年365日を細分化した気候の変化が、日本の四季を構成しているのである。「1節」は約13日と短かい。
 
要約すると、日本の四季のうつろいは、以下のような数多くの変数が複雑に絡み合った要因による事が分かる。
1、四季が訪れるのに優位な地球上の緯度に位置している。
2、地球の自転軸が23,4°傾いたまま公転している。
3、島国である為、海流の影響を受ける日本特有の気候条件にある。
4、冬はシベリア寒気団(親潮)、夏は太平洋高気圧(黒潮)のせめぎ合いの狭間で、夏の湿度と冬の乾燥がもたらされる。
 
 
そこで、百人一首の中から、先人達が季節のうつろいを色濃く表現した俳句を、季節別に紹介し、いにしえの大和心を偲んでみたい。
 
(春)「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂いける」
 
(訳)さて、あなたの心は昔のままであるかどうか分かりません。しかし馴染み深いこの里では、花は昔のままの香りで美しく咲き匂っているではありませんか。きっと、あなたの心も昔のままですよね。        <紀貫之>
 
(夏)「夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいずこに 月宿るらむ」
 
(訳)夏の夜は、まだ宵のうちだと思っているのに明けてしまったが、(こんなにも早く夜明けが来れば、月はまだ空に残っているだろうか)いったい月は雲のどの辺りに宿をとっているのだろうか。        <清原深養父>
 
(秋)「月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど」
 
(訳)秋の月を眺めていると、様々と思い起こされ物悲しいことです。秋はわたしひとりにやって来たのではないのですが・・・    <大江千里>
 
(冬)「山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思えば」
 
(訳)山里はいつの季節でも寂しいが、冬はとりわけ寂しく感じられる。尋ねてくる人も途絶え、慰めの草も枯れてしまうのだろうと思うと。 <源宗于朝臣>
 
 
世界でも稀に見る、日本特有の鮮やかな四季のうつろいが、如何に日本人の美的感受性を育んできたかが窺える。富士山撮影に於いても、四季のうつろいがあればこそ、富士山は未知の光景に溢れ、永遠の挑戦に応えてくれるのだ。

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