vol7
vol7

<生きて死ぬ智慧・・・柳澤桂子の世界>
 
2008年夏、*富士山DVD「揺蕩う雪景色」が完成して、真っ先に送った恩人がいる。
 
東京都多摩市  柳澤 桂子 様
 
住所は多摩市までしか分からなかった、届くかどうか定かでないが送ってみた。
文筆業の仕事柄、出版関係の郵便物が多くある筈である、それが頼みの綱だった。
 
1ケ月ほど過ぎたある日、柳澤先生から手紙が届いた。
 
最初に返信が遅れた詫び文があり、次に、「解説文は一考の余地があるが、短期間でこれだけの写真を撮ったことは素晴らしいと思う。」と記されていた。礼を逸した、見ず知らずの人間の願いに丁寧に応えてくれたのだ。小康状態の病状を押してのDVD鑑賞は、高齢の先生にはさぞかし負担になったことだろう。他者への思い遣りがにじみ出た直筆の文章が眩しかった。やはり想像した通りの人柄だった。
 
生命科学者である柳澤さんが書いた「生きて死ぬ智慧」は私に多くのことを教えてくれた。2度目の手術が終わって、しっかりした死生観を持たなかった自分自身を反省した。その死生観を学ぶ為の大きなヒントが、この本の中に散りばめられていた。
 
柳澤桂子さんは、1960年に御茶の水女子大学理学部植物学科を卒業し、1963年、コロンビア大学に留学、帰国し三菱化学生命研究所に勤務するが、難病を発症し1971年研究所を解雇される。激しい嘔吐、腹痛、頭痛、目眩などの症状が周期的に出たが、医師の診断は、「原因不明」「気の持ちよう」「心因的なもの」など曖昧なものが多く、「病院を転々とする悪い患者」という汚名まで着せられた。悲しむべきは、看病疲れの果てに、家族からも病状の原因について心因的なものではないかとの疑いの目を向けられたことであった。家族の絆を失った喪失感は計り知れず、その時は自死まで考えたそうだ。この時期の精神的苦痛は、到底耐え難いものだったと回想されている。
 
1999年、金沢大学の佐藤保先生から、自身が研究している病気に似ている旨の手紙が届き、そこで「周期性嘔吐症候群」という脳内のセロトニンという物質が不足する脳幹の病気であることが判明する。この病気には抗うつ剤が効くことが分かり、ようやく嘔吐と腹痛から解放された。柳澤さんにとってその知らせは、まさに干天の慈雨であった。
 
しかし31歳で発症し79歳の現在に至っても完治しておらず病魔と闘い続けている。その闘いの過程で、様々な宗教について研究し、般若心経(般若心経は、大般若経を要約したもの)の私訳である「生きて死ぬ智慧」の発刊に辿りついた。
 
お聞きなさい あなたも宇宙の中の粒子で出来ています
宇宙の中のほかの粒子とひとつづきです 粒子すなわち「空」です
あなたという実体はないのです あなたと宇宙は一つです
 
この自己と宇宙の関係性を、粒子という観点で簡潔に言い現わした一文により、私にとって生命の真理は、より身近なものとなっていった。
 
宇宙に漂うチリやガスで全ての物質は創られている、人間もしかりである。そのチリやガスは、超新星爆発という巨大な星が迎える最後の姿、すなわち核融合の原料である水素が底をつき、星を中心部に引き込もうとする重力と、外部に吹き飛ばそうとする力のバランスが崩れ、やがて膨張、爆発してその残骸が宇宙に放出される形でのみ生まれてくる。そのチリやガスを原料として創られた全ての物質はひと続きであり、宇宙と人は1枚の布のように繋がっている。またそのチリとガスは星雲内に多く溜まり、やがて何十億、何百億、何千億年という歳月を経て、重力と水素と時間の結晶として星が誕生する。謂わば、星の再生サイクルである。
 
柳澤先生曰く、仏陀は原子論を知悉していた。その原子論が宗教の教えの根底にある。それ以上分解できない小さい物質が粒子であり、それが「空」である。宇宙は粒子に満ちている、その粒子が動き回り組み合わされて、お互いの関係の安定するところで落ち着いた状態が物質である。実体がないからこそ物質を作る事が出来る。その粒子の動きに着目することが般若心経を解き明かすカギとなる。宗教は哲学でなく、科学的真理である。
 
野の花には苦しみがない、なぜなら自我を持たないからである。1元的に生き何も考えていないからである。人はなぜ苦しむのか? 自我を持ち2元的に生きるからである。多くの宗教の教えは1元論を説いたものである。深い理性の持ち主は、「空」なる智慧に気付く、そして永遠の命に目覚める。「悉有仏性」(しつうぶっしょう)、仏の心は、全ての人の心の中にある。
 
生命科学者らしい視点は、難しく考えがちな生命の起源と真理を分かり易く教えてくれる。結果として自己の生命がいかに奇跡的なものであり、かつ儚いものであり、貴重なものであるかを解き明かす。70億年後、太陽は核融合の原料となる水素を使い果す、それは同時に太陽系と地球の終焉を意味する。
 
他人の唱える教義や価値観に左右されることなく、解放された自己の心や直観に勇気を持って従うことが出来れば、どれだけ楽に人生を過ごせることか・・・
そしてその到達点に立つことが出来た時、人生を左右する程の岐路に差し掛かったとしても、その選択を間違えるような事はなくなる。地球、強いては宇宙に人間は運命を託している。その事実から逃げることは誰にも出来ない。だからこそ自己と宇宙の関わりをしっかりと認識する必要がある。すなわち、「原子論」はそれを解くカギである。
 
 
 <生きて死ぬ智慧・・・要約>
 
「多くの宗教の教えは1原論を説いたものである。深い理性の持ち主は、「空」なる智慧に気付く、そして永遠の命に目覚める。仏陀は原子論を知悉していた。その原子論が宗教の教えの根底にある。それ以上分解できない小さい物質が粒子であり、それが「空」である。その粒子の動きに着目することが般若心経を解き明かすカギとなる。宗教は哲学でなく、科学的真理である。」
 
柳澤桂子さんが辿り着いた世界がそこにある。
 
 
 
 *富士山DVD「揺蕩う雪景色」・・・「揺蕩(たゆと)う」とは、揺れながら落ちる様。
 
2008年、某大病院の館内放映用に、病院の了解のもと制作寄贈した富士山DVD。院内での写真展示を見る事の出来ない重篤な患者さんに、各部屋のモニターで富士山が鑑賞できるよう企画制作した。後日、それをご覧になった患者さんご家族の提案と支援により一般販売が実現。ホームページ上の窓口にて希望者に販売。
 
 
 

vol7

 
 
vol7

 
 
vol7

 
vol7

 
 
vol7

 
 
vol7

 
BACK