vol8
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<夕辺のベンチ>
 
私の病室は長い廊下の突き当たりに面した部屋で、廊下の隅には長椅子風のベンチが置いてある。患者は食事を済ませると、三々五々集まってそのベンチに座り、それぞれの想いを胸に、窓から外界の様子を眺めるのが日課であった。私のベッドからは、横になったままその様子がよく見えた。
病院の手術日は毎週木曜日で、来週が私の番となっていた。水曜の夕食後、いよいよあと一週間で自分の番が来ると思いながらベンチに目をやると、ひとりの中年男性が物憂げな表情で座っていた。向かいの部屋に入院している患者さんだ。落ち着かない様子でベンチに座ったり廊下を歩いたりを繰り返している。私はすぐに明日手術を受ける患者さんであることに気付いた。誰しも手術の前夜は恐怖心に襲われ憂鬱になる。二度目の手術を受ける私には、初めて手術を受ける時の不安感や、死との折り合いをつけなければならない難しさが良く分かっていた。
 
「少し話をしてみよう・・・私の手術体験やささやかな知識が役に立つかもしれない・・・」と廊下に出た。話を聞いてみると、明日男性が受ける手術は心房中隔欠損症といい、心臓の中の右心房と左心房の間にあいた穴を塞ぐものであった。私は二度の入院で同じ手術を受けた患者さんを多く見てきた。様々な心疾患の中でも、手術の成功率が一番高い症例であった。謂わば心臓にあいた穴を塞げばその病気は完治するのである。男性には手術の成功率の高さ、回復の容易さ、同じ手術を受け完治した病友の話など、男性の不安が薄らぎそうな話を知る限り話し、「大丈夫ですよ!・・・」と何度も繰り返した。
 
私の話に耳を傾けている内に、男性の顔がだんだん明るくなって来た。男性は重篤な疾患を抱えて、二度目の手術を待つ私の話を素直に聞いてくれた。30分ほど話しただろうか、看護師さんが手術の前夜に飲む睡眠導入剤を持って男性を探しに来た。男性は気持ちが少し楽になったと私に告げ、心なしか明るさが戻った様子で病室に帰っていった。
 
翌日、昼食後の検温時に、看護師さんから彼の手術が成功したことを聞いた。数日してICUから病室に彼が戻って来た。ご家族や近親者と楽しそうに談笑をしている。「良かったな!・・・」縁あって巡り合った人の幸せが、ほのぼのと伝わって来た。それから2週間程経ったある朝、彼が私の病室にやって来た。彼の術後、廊下等ですれ違うことはあったが、会釈程度で特別言葉を交わすことはなかった。病室に入った彼はベットを隔て私の正面に立ち、おもむろに話しを始めた。
 
まず今日が退院日であること。手術の前日、心臓を一旦止めて行われる施術に底知れぬ恐怖心を覚えたこと。その不安と恐怖をどうしても払拭できず、押し潰されそうな思いでいたこと。そして私の話しを聞いたことで、その不安が徐々に安らぎ、手術を受け入れる心の準備が出来たこと。
 
彼は深々と頭を下げ、私のとった行為に対し感謝の意を伝えてくれた。
 
そして最後に、「もしこの間の私のように、恐怖に戸惑い苦悩する人に出会ったならば、あなたが私にしてくれたのと同じ事を、その人にしてあげたいと思います」と語った。
 
口調は穏やかであったが、強い意志が感じられた。心のあるがままの本音を素直に表現したその言葉は、私の胸を俄かに震わせた。
 
「奇しくも、彼へのささやかな思い遣りは、本当にこの人の為になったのだ・・・!」
 
何とも表現し難い充実感は、幸福感にも似て、私の心の襞に染み込んで行った。人生で初めて味わう感覚であった。
 
人の為になるという事は、これ程までに心震え、感動に満ち溢れているものなのか・・・偶然遭遇した出来事であったが、「あらゆる人の行為の中で最も崇高なものは、人の役に立つ事である・・・!」と、天から啓示を受けた想いであった。
 
稲盛和夫氏の言葉が思い出される。
 
「人の行いの中で最も尊いものは、人のために何かをしてあげるという行為です。人はふつう、まず自分のことを第一に考えがちですが、実は誰でも人の役に立ち、喜ばれることを、最高の幸せとする心を持っています。人間の本性とはそれほど美しいものです。」
 
閑話休題。「この世で一番美しいもの、それは人の心。この世で一番醜いもの、それは人の心。」
 
ここ数年、我々は人の愚かさを毎日メディアで目の当たりにしている。余りの頻回さに慣らされ、その危険性に麻痺してしまうのではと危惧する程である。非合法な選挙によって作り出された某経済大国の大統領の妄動は、鼎の軽重を問う以前の問題であり、人類が永年に渡り、多大な犠牲を払い築き上げた英智・分別・理性という財産を紙屑の如く捨て去る。私利私欲の為に道理や真実を亡き者にし、他人を思いやる惻隠の情の欠片もないその傍若無人さは、物心ついた世界中の子供達の目にどのように映っているだろうか ?
 
ポピュリズムという、「憎しみ」と「対立」の落とし子に、陥らざるを得ない環境に身を置く人々の心に火をつけ、油を注ぐ事がどんなに愚かで危険な行為であるか、また悲惨な結果に繋がるかを、我々は二度の世界大戦で嫌というほど学んだはずだ。分断の歴史を繰り返す行為は愚か極まりなく、二度と侵してはならない。
 
経済至上主義の陰に隠れ、差別を助長し、人間性の喪失という取り返しのつかない過ちに目をつぶってしまう行為をよしとするのか?・・・己の立場の保身の為に、支持層への人気取りに明け暮れ、世界の秩序を崩壊に導く愚行を許し続けて良いのか? 環境破壊を黙認する政策を推し進め、単なる目先の得票数と、子供達、強いては地球の未来とを引き換えにしてもよいのか?かつての朝鮮半島分断の歴史のごとく、大国の指導者の身勝手な論理で、取り返しのつかない未曾有の悲劇を生み、解決のメドがつかない暗澹たる憂鬱を後世に残して良いのか?「A・・・国民よ!崇高な建国の精神を忘れたのか!」と思わず心の中で叫びたくなる。
 
分断の連鎖が如何に愚かな行為であるか・・・
人として忘れてはいけない惻隠の情が、唯一残された解決策であることに気付くかどうか・・・悉有仏性の教えの如く、神の寛容さが一日も早くその者の仏性を目覚めさせ、人間らしい品性を取り戻す日が来ることを祈るばかりである。
 
来る2020年11月、再選のかかった大統領選挙に臨み、世界をリードする大国の良識が試される。
 
「不正に対する感覚が鈍ること・・・それは、知性が浅はかな証拠である。」
 

<ラルフ ワルド エマソン>

 
 

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