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<海外ジャーナル・・・ZDF北京支局長・本音の言葉>
 
2013年6月26日、富士山は世界文化遺産に登録された。それに先立ち同年6月9日、ドイツ国営テレビ局(ZDF)の人気ニュース番組「heute」の中の「海外ジャーナル」という時間帯で、登録直前の富士山の姿がドイツ国内に紹介された。
 
<ZDF第2ドイツテレビ>ドイツには公共放送が複数存在するが、全国放送を行っているのはADRとZDFである。系列局を複数抱えるADR(ドイツ公共放送連盟)とは違い、全国を1社でカバーしているのがZDFである。またNHK・BS1の「ワールドニュース」で、米ABC、CNN、英BBC、仏F2の番組と共に毎日放送されている。これから紹介する「海外ジャーナル」はZDF の看板ニュース番組「heute」(「ホイテ」と読み、ドイツ語で「今日」の意味)内で放映される海外ニュースである。本拠地は武藤喜紀選手が元在籍したブンデスリーガFSVマインツ05と同じラインラント地方のプファルツ州の州都マインツである。)
 
ZDF日本支局から私に取材協力の要請が入ったのは、登録より1ヶ月遡った5月中旬のことだった。世界遺産登録が内定した富士山の取材をしたいので、私の経験や知識を提供して欲しいとのことであった。後日、忍野の鱒の家の駐車場で待ち合わせ、担当者との最初の打ち合わせが始まった。通訳の日本人女性と、アメリカ人のカメラマンの2人がやってきた。青木ヶ原樹海の自殺、後を絶たないゴミの不法投棄問題、富士山信仰発祥の神社取材、富士山本宮浅間大社での富士講の由来検証など、取材内容の一部は既に決まっていたようだが、地理的情報と現地の案内、絶景取材の為の撮影ポイントの紹介、様々に変化する季節ごとの富士山の魅力等、いわゆるロケーションディレクターのような役目が私に任された。
 
1日目の取材地は、忍野、高坐山、河口湖、紅葉台、青木ヶ原、旧東京農大牧場跡地、水ケ塚とし、見る角度により変化する富士山の姿を撮影し、まずは富士山の全体像のイメージ作りに費やした。中でも印象に残ったロケハン地は紅葉台であった。普段決して撮影したいとは思わないスポットであったが、出来るだけ多方向から富士山の姿を紹介する意味で訪れた。予想通り、そこには美しさとは程遠いショッキングな富士山が聳えていた。
 
世阿弥の芸論書「風姿花伝」の中に「秘すれば花」という有名な言葉がある。「花の美しさは秘めているからこそ価値があり、その秘めているものこそが花の美しさを形作っている、秘めねば花の価値は失せてしまう」と説いている。要するに「美しい富士はあるが、富士の美しさはない」ということである。この言葉を引用すると、富士山撮影とは、富士の美しさを解き明かす終わりなき挑戦のような気がする。自らの想像の翼を磨き上げ、自分だけが到達できる稀有な瞬間をイメージし、あらゆる情報を頭に叩き込み、繰り返しトライし、やがて遭遇するチャンスに巡り合う、その結果のアウトプットが人々の心に響き感動を与える。いずれにしても重要なことは、自らの美的感受性に従い、自分自身が最も美しいと思える富士の姿を、ひたすら追求することである。
 
2日目は、田貫湖の夜明けの取材からスタートし、白糸の滝、山宮浅間神社(富士山本宮浅間大社の前身)、及び富士山本宮浅間大社で富士講の由来を取材し、青木ヶ原の自殺問題については、地元のボランティアにインタビューを依頼。そしてゴミの不法投棄問題は、実際に有名登山家・野口健氏グループの現地処理活動を取材し、締めとし高坐山で私のインタビューを収録し、全ての工程を完了するスケジュールであった。私以外の各テーマについては効率よく取材がなされるように事前に段取られていたようだ。この日は、ZDFの北京支局長のH氏も北京より来日してインタビューワーを務めた。
 
早朝集合であった為、朝食はスタッフ全員と共に田貫湖のレストハウスでとった。日本製カメラを使用している支局長は、私の使用しているカメラ(ボディーは日本製、レンズはドイツ製)に興味があるようで、日本製とドイツ製のレンズの表現力の違いについて熱心に質問をしてきた。取り分けカメラマンの視点から見た、日独のレンズ製作上の理念の差を知りたかったようであるが、如何に通訳を介しても日本語独特の言い回しは的確に表現出来ず、正確には伝わらなかったようだ。
 
そんな遣り取りの中、私の質問に対する支局長の心温まる言葉に、私は深く感銘を受けた。
 
「なぜ多くの富士山カメラマンがいる中から私を選んでくれたのですか?」
「外国人として、私の撮る富士山に精神性や魂を感じることが出来ますか?」
 
との質問に対し、まずカメラマンの選定は「日本支局のスタッフが候補をあげ、北京に送り最終的に支局長が決定したこと」そして富士山の精神性や魂の存在については、「外国人である自分にも、はっきりと写真の中に感じることが出来る」と答えてくれたのだ。
 
品位と見識を兼ね備えた支局長のそのひと言は、目指すものが間違っていなかったことの証明のように思え、多少の達成感を与えてくれた。
 
天候にも恵まれ午後に予定された全ての取材が無事終了し、打上げを兼ねて富士吉田のレストランでスタッフ全員揃って反省会をした。時はもう夕刻近くになっていた。取材の成功を皆が喜び、米国人カメラマンのT氏も富士山のような平和な題材が1番であると安堵している様子であった。多分今回の取材で、1番負荷が掛かっていたのは彼だろう。連続する目の前のシーンを逃さず切り取る作業は、かなりの集中力と緊張感を要する。写真撮影を通し私も似たような経験を幾度もしている。彼はこの取材の前、数ヶ月間は東北の震災の取材に明け暮れていたとのことであった。1年間を日本国内外に2分し、世界中の事件や出来事を撮影する為に飛び回っているようだ。2年後に60歳を迎えるタイミングでリタイヤし、ゆっくりと余生を過ごす事が楽しみであると感慨深そうに語っていた。そこには、物事を一筋にやり尽くした男の哀愁にも似た達成感が漂っていた。余談であるが、彼の許しを得て、Fuji Film製のTV撮影用カメラを覗かせて貰った。重量は約20kg弱、レクサスの上級車種ほどの価格だそうだ。驚いたことにファインダー内の画像はモノクロで視野も狭く非常に見難かった。普段カラーで明るいTTLファインダーに慣れている我々にとって予想外の世界であった。このファインダーで被写体の色の移ろいや的確な構図を捉える事は至難の技だろうと容易に推測出来た。プロの経験に裏付けされた技術や勘は半端でない事を物語ると同時に、技術の垂を集めた先進機材と、前時代的ファインダーの不釣合いな機序は、おおいに私の興味を惹いた。通訳の穏やかでゆったりした物腰のY女史、長期の海外滞在を伺わせる経験談は多岐にわたり新鮮であった。彼女は昨日宿泊した田貫湖の休暇村富士が殊の外気に行った様子で、取材終了後、家族で再訪したいと話していた。
 
余談であるが、富士周辺で宿泊地の紹介を依頼された場合、私は良くこの休暇村富士を勧める。田貫湖は富士山の西麓・朝霧の一角に位置し、断層活動により隆起した古富士泥流の窪地を拡大させて形成された人造湖である。元々は狸沼と呼ばれた小さな沼地であったが、1923年の関東大震災の影響で周辺の水の供給を賄っていた芝川の水量が減少したことから、農業用水を確保するために1935年(昭和10年)から狸沼に堤防を建設し始め、沼を人口的に拡張。これにより706,000㎥の貯水ができる人造湖となった。また、この田貫湖は富士山の大沢崩れのほぼ正面方向にあたり、富士山の険しい山容を望める適地である。田貫湖より西方への延長線上には、日蓮宗総本山・久遠寺の寺領である七面山が聳え、日蓮が開いた法華経を守護する七面大明神を祀る。山頂近くの標高1,700m付近には敬慎院があり、多くの人が宿坊に宿泊する。敬慎院から山頂付近にかけては、富士山の好展望地として知られる。また、富士山のほぼ正面に位置する為、春分・秋分の日には富士山頂からのご来光が望める。古の時代には、西方に極楽浄土(西方浄土)があると信じられてきた。この地に霊山が開かれた由縁であり、Y女史が知らずのうちに休暇村富士への再訪を希望した理由かも知れない。
 
ZDFスタッフ一同の対応は極めて紳士的であり、静謐であるが言葉の端々は矜持に満ち、所謂「君子の交わり」を彷彿とさせた。世界の先端を走る報道番組を制作発信し続けるエネルギーと、次元の異なる目標意識の高さを肌で感じることの出来た、本物のジャーナリスト集団であった。
 
話は変わるが、TVの土曜日早朝放送の政治討論番組にN元中国駐在大使が出演する際、現地での生の体験談や切れ味鋭い対中国感を聞けるのではといつも期待して見るが、どうもはっきり語らない。「中国人の思考回路は、日本人とは正反対のものである・・・」。そのひと言で、中国人が日本人の理解を越える人種であることを表現しているつもりらしいが納得がいかない。対中ビジネスを重視してきた商社時代の長いしがらみの存在は理解できるが、まことに歯切れが悪く潔さを感じない。視聴者の関心事を意図的に語ろうとしない、若しくは語ることの出来ない人物の人選は、もう少し慎重に行われるべきではなかろうか。
ともあれ私の期待は毎回裏切られた。
 
そこでめったにあるチャンスではないので、意を決して北京駐在8年というH支局長に、興味深い現地の実情や、生の対中国感を聞きたく次の質問をした。
 
「中国に長年駐在されて、中国という国をどのようにお感じになりますか?」・・・すると支局長は暫く言葉を選んでから、おもむろに次のように答えた。
 
「我々自由主義体制の国々は、中国のような国に世界のイニシャティブを握られないよう、力を合わせて頑張らなくてはいけない・・・」と。
 
「覇権主義的思想は危うく自らをも滅ぼしかねない、権謀術数も過ぎると自らの首を絞める。力による政治は、力によって滅ぶ。2,000年の歴史がそれをもの語っている。」その言葉の真意を私はそう受け取った。
 
支局長の口調は穏やかだが確信に満ちていた。8年間現地に駐在した歳月が言わせた本音の見解であり、私の胸に素直に響き、且つ同感であった。正鵠を射た支局長の簡潔で力強い言葉に、私は溜飲を下げる想いであった。
 
 

vol3

「梅雨の夜明け」:静岡県富士宮市:田貫湖
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「いにしえの薫り」:静岡県富士宮市:富士山本宮浅間大社
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「高坐山秋景」:山梨県南都留郡忍野村
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