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<憧れのキャンパスライフ>
 
「白露(はくろ)、陰気ようやく重なりて 露こごりて 白色となれば也」
 
(歌意)秋が本格的に到来して 草花に朝露がつくようになった。
 
昔はこのような現象が見られるのは秋の陰気が夏の陽気に交わるときと見た。すなわち夏から秋への交替時に白露を目印としたものである。現代では9月8日頃、二十四節気の15番目に当たる。
 
「京都人の密かな愉しみ」というNHKのドラマの中で、主人公、沢藤三八子なる京都老舗和菓子屋の若女将が、庭の花を見つめながら呟くこの一節が、何故か京都への慕情を殊の外掻き立てる。
 
私は京都の町への憧れが強い。学生時代は毎年夏に京都に通った。今ほど詳しくはないが、当時の持てる知識を頼りに寺社仏閣を巡ったものだ。三千院、寂光院、高山寺、光悦寺、清水寺、護国神社、南禅寺、知恩院、法然院、西芳寺、浄瑠璃寺。いずれも懐かしい響きである。
 
受験生時代に心臓病に罹患した反動で、雑踏渦巻く東京よりも関西の大学へ行くことを望んだ。しかし京都御所の隣に位置する大学に合格したものの、何故か東京の大学へ進んでしまった。結果、学生運動の渦中、殺人事件や内ゲバ闘争に明け暮れる殺伐とした光景を、毎日傍観しなければならない最悪の環境に身を置くことになった。悔やんでも悔やみきれない「青春の蹉跌」である。取り分け思い出されるのが、当時在籍した大学のキャンパス内で起こった殺人事件である。1972年、静岡県伊東市出身の第一文学部学生、川口大三郎君がK派の凄惨なリンチにより殺害された。これを機に、W大では全学的なK派及びK派と癒着する大学当局糾弾の動きが沸き起こり、K派は追い詰められた。一般学生による虐殺糾弾・自治会再建運動は全学に及んだ。私はある日、本部キャンパスで行われた自治会再建運動集会に一般学生の一人として参加した。この集会には密かにK派の学生も混じり様子を伺っていた。虐殺糾弾の勢いは増し、一般学生を装う他セクトの学生がK派を追い詰め、K派は拠点のひとつである商学部の建物に立てこもった、そして一時間近くが過ぎたであろうか?商学部内から当時良く耳にした、学生運動歌が聞こえてきたその時、商学部の正面扉が開いた。出てきたK派の学生数は、立てこもった時の数倍に膨れ上がっていた、100人を超えていただろうか? 他大学からの応援部隊が駆けつけたのだ。長い竹竿を全方向にかざし訓練されたその異様な姿は、まるで巨大な針鼠のようであった。その後、隊列を崩しK派の学生は一般学生に襲いかかってきた。私も追いかけられキャンパス内を必死で逃げ回った。友人は転んで怪我をした。今思えば、たった一人のK派学生に追われた一般学生の数は数百人以上であっただろう。事件当時、第一文学部に在籍していた村上春樹氏は、「海辺のカフカ」という小説に、川口君事件の一部を引用し描いている。
 
閑話休題。殺伐とした学生時代の思い出話になり、気分が重くなってしまったので、元の京都の話題に戻ろう。
 
最近、憧れの京都を様々なエピソードを交えて、細部に渡り叙情詩のように色濃く描いた番組が、第32回ATP賞テレビグランプリ受賞作、NHK制作の「京都人の密かな愉しみ」である。素晴らしい脚本家・演出家の元に優秀なスタッフが集い、ひとつの時代絵巻を作り上げたかのような稀にみる傑作ドラマと言える。知悉した多岐に渡るロケ地の選定やキャスティングも素晴らしく、個性豊かな俳優陣の生き生きとした演技が乱舞する蝶のごとく散りばめられている。取り分け、常盤貴子(彼女の美しさは、古都を背景とした物語の中で、キラリと輝く大粒のダイヤの如き眩しさを放っている)、団時朗、シャーロット・ケイト・フォックス、伊武雅刀、銀粉蝶、柄本明、本上まなみ等の名演が光る。映画は総合芸術と言われる所以を、随所に感じることのできる名作中の名作である。
 
ドラマは秋編、夏編、冬編、名月編、桜散る編の五つでなり、各メインパートと、それに絡む「オムニバスドラマ」、京料理の作り方、実際に京都で活躍している各方面の職人などを紹介する「ドキュメンタリー・情報」のパートから構成されている。観光旅行では接する事の出来ない京都の生活文化を、地元民の視線からウィットを交えながら描いている。オムニバスドラマでは、秋編の「桐タンスの恋文」、夏編の「真名井の女」・「木屋町珈琲夢譚」、名月編の「月待ちの笛」、などが出色の出来栄えである。
 
かつて富士山写真に関し幾度かNHKスタッフの取材を受ける機会があったが、私の評価は他局と比べ決して好ましいものではなかった。しかし、今回このドラマに巡り会い私の印象は一変した。脚本・演出家のずば抜けた想像力、ストーリーの展開力、重層的に処理された各分野の情報分析力等に脱帽した。またその指示に従い映像化を可能にしたNHK スタッフの優秀さに気付かされた。「さすが国有放送!」と思わせるほど制作手法に長けており、只者ではない人材がNHKにもいる事を証明してみせた。繰り返しドラマを見る度に、京都の魅力を余すことなく引き出す映像技術や、脚本・演出家の京都への強い愛着、卓越した才能に嫉妬さえ覚える。
 
過去にも2012年の「オニモ・姜尚中と母親の戦後」や2016年の「漱石悶々・夏目漱石最後の恋・京都祇園の二十九日間」等、数々の興味深い作品を世に送り出し、最近では、京都太秦撮影所を舞台に、「スローな武士にしてくれ」というやや趣の違う新作が放映された。やはり同じマイスターの手掛けたイマジネーティブなストーリー展開と、キャストの選定、撮影技術の完成度の高さに唸らされた。
 
「京都は今描いといて戴かないとなくなります。京都のあるうちに描いておいて下さい」。1960年に「古都」「美しさと哀しみと」を執筆した川端康成が、東山魁夷に勧めたこの言葉により、1969年、魁夷は連作画「京洛四季」を完成させた。東山魁夷の心に響いた京都が、余すことなく描かれており魁夷独自の美的感受性が窺える。写真を志す身となった今となれば、名作「年暮る」を含むこの連作に描かれた地を巡り、自らの視点で表現してみたいものである。
 
徒然に本棚に目をやると、高野悦子著「ニ十歳の原点」が目に入る。今から約50年前、当時立命館大学の3年生であった彼女は、20歳という若さで、自らの出した結論に従い、足早にこの世を去ってしまった。同世代を生きる未熟な仲間として、その想いの一端だけでも知りたく落とし物を探すように読みふけったものだ。
 
思えば私の京都好きはやはり本から始まったのかも知れない。小学校高学年の時、母親が日本文学全集を買い揃えてくれた。厚目のA4 版でベージュのカバーと赤を基本とした装丁が美しく、本棚の中段に30〜40巻程度が鎮座する光景を毎日見て過ごした。著者名が五十音順だった為、小説家の名前も知らずの内に覚えてしまった。中学生になり中味が気になり始め少しずつ読書を開始した。最初の京都との出会いは、森鴎外の「高瀬舟」であった。高瀬川を舟に乗せられ下る流人の悲哀と、京の雅さの不協和音が印象的で、何故か心に残る作品であった。また、「次第に更け行く朧夜に沈黙の二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべって行った。」というエンディングに、京の街並みと木屋町通りの川辺の風情を色濃く感じ、その魅力に惹かれていった。その後、「金閣寺」「古都」「檸檬」「雁の寺」など、京都を舞台とした小説を好んで読みふけった。
 
チェリッシュの名曲「なのに貴方は京都へ行くの」は、私を50年前に連れ戻してくれるタイムマシーンである。今でもイントロが流れる度に、京都への慕情が俄かに蘇り、小さな胸がキュンとしてならない。「京都人の密かな愉しみ」の中でも、洛志社大学教授役のシャーロット・ケイト・フォックスがカラオケで歌う場面があるが、何度見ても飽きず、人をニヤリとさせる心憎い演出と名演に感心させられる。
 
南禅寺「順正」の湯豆腐、「出町ふたば」の豆餅・栗オコワが懐かしい。次はスティーブ・ジョブスの定宿であった「俵屋」に泊まり、「辻留」の懐石弁当を、蹴上インクラインのベンチに腰掛け、京の街並みを御菜にゆっくりと食したいものだ。
 
「京都」・・・何という蠱惑的(こわくてき)な響きを持つ名か!
 
京都の街は、そこで生きる人間に「美しく生きよ!」という無言の呪縛をかけている。そして京都の街に忠誠を誓った人間による美の蓄積の街。
 
もし次の人生があるならば、迷うことなく京都の大学へ進み、憧れのキャンパスライフを、思う存分謳歌しよう!
 
 
 
*この文章は、NHKドラマ「京都人の密かな愉しみ」の脚本・演出家、源孝志氏へのオマージュです。
 
 
 

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