vol6
vol6
 「敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」
                              <本居宣長>

 
<一人の芭蕉の問題・・・天才と日本文化>
 
新たな世界を切り開く新たな発想、高い開発理念や技術の数々を残し、2011年10月5日に膵臓がんの為、スティーブ・ジョブスは惜しくも56年の生涯を閉じた。彼の死から8年、世界を変えた一人のアントンプレナーの死を世界中が悲しみ、追悼を捧げている。
 
アップル製品を手に取ると、往年の米製ジャンク商品のイメージとは懸け離れた美しさと洗練された気品を感じる。そしてアップル製品に共通するフォルムを突き詰めて行くと、簡潔さに行き着くことに気付く。それは日本の「侘び・寂び」にも似た雰囲気を醸し出している。「なぜだろうか」「ジョブスの理念や思想のどの部分がそれを可能にしたのか?」非常に興味深い題材に思えた。
 
まず日本文化がジョブスの思想理念に影響を与えたと思われるひとつの要因は、日本の禅宗への傾倒である。ジョブスは1970年代にカルフォルニア州の実家近くの「俳句禅堂」に通うようになる。禅僧乙川弘文に傾倒し生涯心の拠り所とした。後年ジョブスは、自分の集中力とシンプルなものへの愛は、禅によるものだと語っている。余計なものを削ぎ落としたミニマリズム的な美的感覚も、禅から得たものだという。また晩年、京都の老舗旅館俵屋を定宿とし、禅の教えを求め何度も寺社仏閣を訪れていたようである。我々日本人の心に響く「潔さ」や「簡潔さ」の源は、この部分から生み出さているのかも知れない。
 
   「見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」
 
                     <新古今和歌集:藤原定家>
 
<歌意> 見渡して見ると、春の美しい花も秋の紅葉もここにはないことよ。
     海辺の苫ぶきの粗末な小屋のあたりの秋の夕暮れよ。
 
「南方録」によれば、千利休により完成された「侘び茶」を、先駆者・村田珠光より引き継ぎ発展させた武野紹鴎は、「わび」の心がこの歌の中にまさしく表現されていると言っている。我々日本人にはこの静寂感・質素感を感受出来るDNAが生来、脳の中に刻まれているのだ。「不足の美」(余白の美)の味わいもしかりであるが、多分ジョブスも同様もしくは近い感性を、禅の修行を通して身につけたものと推察される。
 
次なる重要な要因は、彼の仏教的死生観であろう。「人生を左右する岐路に立った時、いちばん頼りになるのは、いつか死ぬ身だと知っていることです。周囲の期待、プライド、失敗の恐怖、すべてのものが死に直面すると消え、本当に大事なことだけが残るのです。」彼のこの言葉から分かるように、自らの病苦との闘いの中から学び取った、人生にとって一番肝要な真理を理解していたからこそ、進むべき道が見えていたのだろうと推察出来る。
 
「点と点は繋がると信じて、今の点を選択せよ!」
「自分の心と直観に従う勇気を持て!」
「愛と敗北こそが、人生を豊かにする!」
 
彼が残した数多くの銘訓の中で、最も共感を覚えるものが上記の3点である。
 
病苦に罹患し絶望の淵に立った時、初めて見えてきた微かに光るその先にある情景を、ジョブスもきっと見たに違いない。光は闇の奥から来る。そして絶望の中に神を見る。自分の意志では、到底抗うことの出来ない絶体絶命の境地が何かを産む。そしてその苦悩は、自己を造り、神の存在を知らしめる。いくら望んでも簡単に手に入れる事のできない心の平穏と、揺るぎない生き方の機序ともいうべき真理に近づき、そして確信を得る。
 
嗜好面に関しても、ジョブスが傾倒した川瀬巴水の版画の中に、「簡潔さ」「叙情感に溢れる美的感覚」という、彼の思想理念を理解する上での示唆が見て取れる。
 
<川瀬巴水:1883〜1957>日本の大正・昭和期の浮世絵師、版画家。
衰退した日本の浮世絵版画を復興すべく吉田博らとともに新しい浮世絵版画である新版画を確立した人物。近代風景版画の第一人者であり、日本的な美しい風景を叙情豊かに表現し「旅情詩人」「旅の版画家」「昭和の広重」などと呼ばれる。国内よりもむしろ海外での評価が高く、浮世絵の葛飾北斎、歌川広重等と並び称されている。「巴水」の画号は師、鏑木清方より与えられたもの。同門・伊東深水の版画に影響を受け版画家に転向。次第に歌川広重や小林清親の風景版画を研究してゆき、技法的な工夫を重ねる。終生、夜、雪などといった詩情的風景版画を貫いた。代表作は、東京十二題、「深川上の橋」「冬の月」。東京二十景、「芝増上寺」「雪の増上寺」。「馬込の月」「荒川の月」「上州法師温泉」「京都清水寺」「平泉金色堂」等。
 
今から36年前の1983年。銀座にある老舗画廊を、ジーンズ姿のアメリカ人の若者が訪ねた。そして、彼は「川瀬巴水」の絵を一枚購入して帰った。しばらくすると、彼の会社の秘書から「店に展示してある川瀬巴水の絵を全部売って欲しい」との連絡が入った。彼の会社はアメリカのアップル・コンピューター」・・・川瀬巴水の絵に魅了されたのは、独特の美的感受性、審美眼を持つ「スティーブ・ジョブス」だった。
 
川瀬巴水の版画の中には、ジョブスが愛した日本の美が凝縮されている。巴水が表現したかった世界とは、66 歳当時の巴水自身が語っていたところによると「やはり静かな、しみじみとした世界が良い。雪もそんな感じのものは心を惹く。静かなもの、うらびた(うらぶれた)もの、うち寂(さ)びたもの、私の世界はここにある」だった。特筆すべきは、夜、雪、月などを題材とした詩情的風景版画であり、その陰影と空気感、風情溢れる情景は、とりわけ白眉である。
 
巴水の描いた大正〜昭和の日本の多くは今現在、失われ、もはや見ることができない風景である。しかし「芝大門」でも「金閣寺」でも、74歳にして絶筆の舞台となった奥州平泉の「中尊寺金色堂」でも、今なお当時を彷彿とさせる風景は存在する。もしも我々が冬の中尊寺を訪れることがあったなら、雪景色と渾然一体となった雲水の姿が見え、しかもその雲水は木版画家・川瀬巴水にも、また、「自分」にも重なったものに想えるかもしれない。それこそが、「芸術家」の真骨頂だ。木版画家としての巴水が「見た」世界、そして捉えようとした世界、「描いた」世界は、巴水が亡くなった後でも、そして風景そのものが失われてしまっても、永遠に残り続けるのだ。それは、まるで我々がアップル製品を見るたびに、世界を変えた稀代の天才、スティーブ・ジョブスを思い出すがごとく。
 
思うに、革新的な物事の変化を成し遂げ、世界を変えた一人の天才の思想や理念の根本に日本文化があることは、我々日本人にとって誇らしく、掘り下げる価値のある研究課題である。「武士道」「万葉集・古事記・日本書紀」「清少納言・紫式部」「禅」「侘び・寂び」「珠光・紹鴎・利休」「芭蕉・蕪村」「北斎・広重・巴水」「蘆雪・蕭白・光琳・宗達・抱一」「等伯・探幽・若冲・応挙・文晁」「近松・西鶴・馬琴」「観阿弥・世阿弥」「運慶・快慶」「明恵・西行」「漱石・谷崎・芥川」「川端・太宰・三島」等、枚挙に暇がないほどの魅惑的題材に溢れている。
 
最後に、ジョブスの開発姿勢を理解する上で忘れてならないものは、現実歪曲空間(RDF:Reality Distortion Field) である。
 
その意味は、クリエーターを追い込み続けることにより、実現困難性についての規模感や距離感を歪ませ、今手元にある作業が容易に実現可能な気にならせる手法である。ジョブスに近い人によると、不可能と見えたことが実現出来たことで、「実は最初から実現可能だったのだ・・・」という感覚が作り出された体験が幾つもあると言う。まさにジョブスの物造りに対する理念の本質であり、不可能の先へ到達する為の究極の手段であった。しかしこの考え方には賛否両論があり、あまりのジョブスの厳しい要求に、反旗を翻す者が続出し多くの敵を作った。
 
しかるに、「一人の芭蕉の問題」という江戸川乱歩の評論がある。その中で乱歩は、和歌の卑俗滑稽なるものから分脈発生した俳諧は、もともと市井俗人の弄びにすぎなかったが、「芭蕉の個人力は、貴族歌人の嘲笑のもとにあったこの俗談平語の俳諧を、悲壮なる気魄と全身全霊をかけての苦闘によって、ついに最高至上の芸術とし、哲学としたのである」と述べている。芭蕉が貴族歌人嘲笑のもとにあった俳諧を、民衆レベルまで押し広げ、最高至上芸術として哲学したことから、革新的な物事の変化を成し遂げることを意味した。ジョブスの偉業は時代こそ変われ、世の中にとって同じような、いやそれ以上の衝撃を与えた。
 
ダヴィンチ、モーツァルト、北斎、アインシュタイン、ジョブス、次に我々人類が彼らのような不羈の才に出会えるのは、いつの日のことであろうか・・・
奇しくも今年はダヴィンチの生誕500年にあたる。恐らくジョブスも500年後、ダヴィンチと同等、若しくはそれ以上の偉人として、世界中で人口に膾炙されていることだろう。
 
 
 

vol6

西国三十三観音巡礼伊豆版「子浦三十三観音像」:静岡県南伊豆町子浦
 
 
 
vol6

葛飾北斎「八方睨み鳳凰図」ゆかりの寺「曹洞宗:梅洞山・岩松院」:長野県上高井郡小布施町
 
 
 
vol6

(版画):川瀬巴水代表作「芝増上寺」:東京二十景より
 引用元:https://aucfree.com/items/q255463983
 
 
 

vol6

(版画):川瀬巴水代表作「馬込の月」:東京二十景より
引用元:http://www.photo-make.jp/hm_2/ma_magomebashi.html
 
 
 

vol6

(版画):川瀬巴水「京都清水寺」:日本風景集Ⅱ 関西編
引用元:http://artkiun.com/jp/0491-hasui-kawase-kiyomizudera-temple-in-kyoto.php
 
 
 

vol6

(版画):川瀬巴水「平泉金色堂」郷愁の日本風景 (絶筆)
引用元:https://aucfan.com/intro/q-~c0eec0a5c7c3bfe520b6e2bfa7c6b2/
 
 
 

vol6

西国三十三観音巡礼伊豆版「子浦三十三観音像」:静岡県南伊豆町子浦
 
 
 
vol6

葛飾北斎「八方睨み鳳凰図」ゆかりの寺「曹洞宗:梅洞山・岩松院」:長野県上高井郡小布施町
 
 
 
vol6

(版画):川瀬巴水代表作「芝増上寺」:東京二十景より
 引用元:https://aucfree.com/items/q255463983
 
 
 

vol6

(版画):川瀬巴水代表作「馬込の月」:東京二十景より
引用元:http://www.photo-make.jp/hm_2/ma_magomebashi.html
 
 
 

vol6

(版画):川瀬巴水「京都清水寺」:日本風景集Ⅱ 関西編
引用元:http://artkiun.com/jp/0491-hasui-kawase-kiyomizudera-temple-in-kyoto.php
 
 
 

vol6

(版画):川瀬巴水「平泉金色堂」郷愁の日本風景 (絶筆)
引用元:https://aucfan.com/intro/q-~c0eec0a5c7c3bfe520b6e2bfa7c6b2/
 
 
 

BACK