vol10
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  <猫・・・忘れじの向田邦子>
 
「61ケ所!」 昨年11月に我が家にやって来た雄の幼猫にかじられたキズ痕の数である。両手両足、見るも無残な傷痕が時系列的に濃さを違えて恨めしそうに沈黙している。初めて飼う猫の扱い方が分からないままに被った名誉の ? 傷痕である。
 
とにかく人に飛びつくことが大好きである。幼猫と言えども獲物を襲う本能が抑えきれないのだろう。静かに遊んでいるなと思いきや目を合わせた瞬間「ロック・オン!」、顔面に向かって体当たりジャンプ。ゲージから放してトイレの掃除をしていると、人の背後に回り背中に向かって不意打ち攻撃。はた又おもちゃ遊びに飽きると、おもむろに私の傍に近寄って来て、顔面ジャンプのチャンスを密かに窺う。猫を飼う経験は初めてであるが、これが正常な猫の習性というものであろうか? それとも個体のDNAが成せる技か? 何れにしても猫族が誇る狩猟能力世界チャンピオンの片鱗を、彼から十分学ぶ毎日である。
 
猫と言えば、すぐに思い出されるのが向田邦子さんの愛猫、マシャハイ・マミオである。向田さんはタイ旅行中にコラット種の銀色の猫に「感電するような衝撃」を覚え、生後3ケ月の高貴なコラットを迎え、「マミオ」と名付けた。「マシャハイ」とは、伯爵の意味である。
 
向田さんが飛行機事故で亡くなった後、マミオは妹の和子さんに引き取られるが、暫くの間、自室に引きこもり、49日が過ぎた頃から「帰らぬ人」を探し求め、半狂乱になった話は有名である。和子さんに咬みつき頭に飛びつき、凶暴極まりない様相に和子さんは意を決し「私があなたの主人だ」とマミオに対峙、傷だらけになりながら一歩も引かなかったそうだ。向田さんの死を誰よりも悲しみ打ちひしがれ破裂したマミオも、やがて和子さんを主と認め、その4年後、向田さんの許へ旅だった。その時の様子が「向田邦子ふたたび」に掲載されている。また最後のメッセージ集、「男どき女どき」に納められた「伯爵のお気に入り」という小編に、向田さんとマミオのたわいもない日常のひとこまが、愛情深く描かれている。それは読む者の心をほのぼのとさせるが、それがまたなんとも悲しい。私達は本当に掛け替えのない人を失ってしまった。
 
猫に恋した作家は、向田さん以外でも、三島由紀夫、谷崎潤一郎、幸田文、大佛次郎、室生犀星、夏目漱石など枚挙に暇がない。ピカソやダリなど芸術家の愛した猫の逸話も多い。
 
私が、猫を飼うことを決心した理由が二つある。ひとつは、一昨年来、体調を壊し塞ぎがちであった自分に、ルーティンの軽作業を課し、強制的に体を動かすことを目論んだからである。猫といえどもひとつの命、その命に対し請け負った者の責任は大きい。今ではすっかり慣れてきたが、やはり最初はひと苦労であった。二つ目は、私が敬愛し目標とする師匠(画家)が、大の猫好きだからである。ただ好きというだけでなく、多くの野良猫に去勢手術をさせる運動を長年自費で続けてきた。実際不幸な野良猫の話を人から聞いただけでも、去勢手術にかかる費用をその人に託し、おまけに自分の描いた高価な絵を進呈するほどであった。想像を越える数の野良猫が先生に命を救われた。「先生があれほど愛した猫とはどんな動物か?」以前より知りたかった命題である。
 
先生はダダイストである。戦争と破壊と殺人は人間の理性を根本から否定する。「西洋文明は、理性の上に作られている。ですから理性の否定は、芸術はおろか全文明の否定になります。ダダの理性の否定は、すなわち作為の否定であり意識の否定でもある。」意識の下には広大な無意識領域が存在し、ユングの「集団的無意識」論に従えば、人の無意識はお互いに繋がっている。集団的無意識論がもし正しければ、無意識の美は人類にとって普遍的な美かも知れない・・・」。
と先生は作為を否定し、無意識の美を評価する。そう言えば、昔、愛読した安部公房、中原中也、宮沢賢治、写真家マン・レイやアンリ・カルティエ・ブレッソンもダダイズムの影響を受けていた。
 
「猫があなたに幸せを届けてくれますよ!」飼ったと報告をした際の先生の優しいお言葉である。その言葉が10ケ月経った今なんとなく分かってきた。
 
日常生活の中で、人が既に忘れてしまっている動物的「野生」を身近に感じる新鮮な感覚、運動能力は犬の比ではない。また夜行性である猫は夜目が効き、暗闇も物ともしない。そして決して人に媚びる素振りを見せない高貴な態度、予想以上に知性を感じさせる振る舞い、人の言葉に対する理解力、それは私を驚かせた。「猫は液体」という言葉があるが、自由自在に伸び縮みするその筋肉の柔軟性には目を見張るものがある。また意外にも不器用な前足の動きは、すこぶる滑稽である。
 
アメリカ原産の我が家の種は、ネコ白血病の研究の為にカリフォルニア大学でアジアン・レオパードという山猫と家猫を交配して作られた。10ケ月たった今でも私や家族には心を許していない。時としてその獰猛さは大型の猫族を彷彿とさせ、人の言葉に反応し礼儀正しさを感じさせる日頃の所作は、その血筋がまっとうであることを教える。
 
逃げるもの、なかなか手の届かないものに人は不思議と心惹かれる。社会性を僅かにしか持ち合わせないその素っ気ない態度に、社会性動物の代表である人間が、羨望の眼差しを向けるのはごく自然なことかも知れない。
 
「こいつを、いつか膝の上に乗せ、007のエルンスト・スタブロのように、頭と喉を撫でてやる・・・!」
 
いつ来るか分からないその日を思い描き、にんまりする瞬間がある。
 

<ダダイズム>
1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動のことである。単にダダとも呼ばれる。第一次世界大戦に対する抵抗やそれによってもたらされた虚無を根底に持っており、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想を大きな特徴とする。ダダイズムに属する芸術家たちをダダイストと呼ぶ。「ダダ」という名称は1916年にトリスタン・ツァラが命名した。(チューリッヒダダ)
1919年ツァラはアンドレ・ブルトンに招聘されてパリに活動の場を移した(パリダダ)。その後1922年にツァラとブルトンとの対立が先鋭化し、1924年にはダダから離脱したブルトン派によるシュルレアリスムの開始(シュルレアリスム宣言)と前後してダダイズムは勢いを失った。

 

<シュルレアリスム>
フランスの詩人アンドレ・ブルトンが提唱した思想活動。一般的には芸術の形態、主張の一つとして理解されている。日本語で超現実主義と訳されている。シュルレアリスムの芸術家をシュルレアリストと呼ぶ。「シュール」は「非現実」「現実離れ」の意味によく使われる。芸術運動のシュルレアリスムでは、その多くが現実を無視したかのような世界を絵画や文学で描き、まるで夢の中を覗いているような独特の非現実感は見る者に混乱、不可思議さをもたらす。
また、思想的にはジークムント・フロイトの精神分析の強い影響下に、視覚的にはジョルジョ・デキリコの形而上絵画作品の影響下にあり、個人の意識よりも、無意識や集団の意識、夢、偶然などを重視した。なお、ダダとシュルレアリスムの関係であるが、ダダに参加していた多くの作家がシュルレアリスムに移っているという事実から窺えるように、既成の秩序や常識等に対する反抗心という点においては、思想的に接続している。画家としては、サルバトーレ・ダリが有名であるが、ピカソも後にシュルレアリスムに傾倒している。