<まさかの別れ>
 
「人生はまさかの坂を登るがごとく」
 
人生の不条理を表現した言葉である。
人生には数多くのまさかが待ち受けている。思い返せばその大半が「悲しいまさか」である。勿論「嬉しいまさか」も存在するが、前者に比すればほんの僅かである。私にとっての最大のまさかは、命の恩人である名医、齊藤憲先生との別れであった。「このご恩は一生忘れません!」手術後の回診時に心からの感謝の意を伝えた。成功の見込みがほとんどない難手術を彼は見事に成功させてくれ、私の命を救ってくれた。数多くの人々が彼の力によって人生を長らえた。御仏の眼差しと神の手を持った真の名医であった。
 
その恩人が57歳という若さで天に召された。まさに晴天の霹靂である。世の不条理をこの時ほど思い知らされたことはない。「なぜ! なぜ! なぜだ!」
おおよそのことは受け入れる心の準備は出来ているつもりだが、これだけは許せなかった。「神はやはりいない・・」そう思った。
 
私の手術後、彼は他の病院に移り、その数年後、自身のクリニックを開院した。私の家からはかなり離れてしまい、私は元の病院にそのまま通院した。その後あるきっかけがあり彼のクリニックに通うことにした。これから紹介する文章は、当時彼が開設していたブログの一節である、私が彼と再会をした日は、奇しくも彼の誕生日であった、再会の日の感想を以下のように綴ってくれている。
 
「2月10日の誕生日:この年になると、別に誕生日だからといって、目出たいわけではないのですが、私にとってはとても嬉しい出来事がありました。写真家であるMさんが、当クリニックに来てくれました。彼と私は、かれこれ7年以上にわたる、お付き合いです。単なる「医師と患者」の関係ではないと私は思っています。患っていた重症心疾患の治療を、私に任せていただいたこと、結果は幸運にも良好であったこと(これは私が名医であった、ということではなく、いろんな状況やご本人の治ろうとする力、などすべてのパワーが良い方向に行ってくれた、ということ)、何もかもが忘れられない出来事となったのです。その後の彼は、仕事をやめて「写真家」としての道を歩むことになりました。現在、私のクリニックの医院長室に、彼の作品である、素晴らしい富士山の夜景の写真が飾ってあります。そして、数日に一回は彼の写真で構成されたDVDが、待合室の液晶テレビに写し出されます。「デジタル」を一切拒否した、彼の素晴らしい「アナログ作品」が、圧倒的に我々の心を魅了します。久しぶりに会った彼の目は、昔と同じように優しく、かつ情熱的に光っていました。いい誕生日をもらいました。ありがとうございます。また、あしたからがんばれます。」
 
先生が仰っている通り、単なる医者と患者の関係ではなかった。心許せる遠来の友とでも言おうか、私にとっては寄る辺として掛け替えのない存在であった。
 
私は一度目の心臓手術を37歳で受け、二度目を51歳で受けた。当時、彼の在籍した病院に、一度目の手術執刀医のA医師が在籍しており、その医師を頼りに、50歳を過ぎ心不全が急激に進んだ心臓の治療に通い始めた。その際、彼と巡り会った。指導医という輝かしい彼の経歴は、地方病院ではめったにお目にかかれない非常に稀有なものであったが、院長のたっての要請に答えたものであったことを、後に知った。
 
検査の結果、37歳で交換した二つの人工弁の内、僧帽弁がはずれかけていることが判明した。しかし、仕事の無理がたたり、病状は重篤を極めていた。手術には致命的と言える合併症が3つも想定され、成功の見込みはほんの僅かであった。それでも少ない可能性に賭けてみようと、先生は手術の決行を勧めてくれた。
 
手術日を待つ一ヶ月の間、従来のA医師の外来に通った。手術の決定を知ったA医師は、意外な言葉を発した。「もしあなたが私の身内であれば、危険多い今回の手術は回避させ、そして暖かい春が来るのを待ちます。」
信頼し頼って行ったその医師の言葉に、私は手術の延期を決めた。
 
ある日、手術の中止を知った齊藤先生から、私の自宅に直接電話があった。
 
「時々で良いので、病院に来て心臓の様子を見させて下さい。また、体調がすぐれないと感じたらすぐに病院に来て下さい。」
 
医師からの直接の電話など今まで貰ったことはない。素晴らしい人柄に接し、悪いことをしてしまったと、深く反省した。それから一週間もしない内に、心不全が酷くなり、即入院、手術となった。
 
クリニックを開院して間もなく、若くしてこの世を去る無念さはいかほどのものであっただろうか。どれだけ塗炭の苦しみに耐えたことだろうか。想像するだけで胸が痛む。にこやかな笑顔に、会う全ての人が安らぎを覚えた。自信と使命感に溢れたあの顔を、二度と見ることは出来ない。
 
手術から15年、まだ私は生かされている。
先生に救われたこの命を、ささやかでも人の為に使い続けたいと願う。
 
「病と貧困に苦しむ者は、命を知り、愛する人を亡くした者は、愛を知る。」
聖路加国際病院名誉医院長、日野原重明先生の言葉に、胸がつまされる。
 
齊藤 憲 先生・・・ありがとうございました、どうぞ安らかにお眠り下さい。